制作の事など

 「なぜ白と黒で絵を描くのか」自問自答するようにしながら、私は仕事を続けて来ました。自然の流れのように出会った白と黒、それは作品の主題と重なっています。対極的な無彩色は、私に「どのように生きるのか」「なぜ続を描くのか」という根本的な問いを投げかけるのです。

 日々の暮らしの中、アトリエで過ごす時間、描きかけの画面の上に、対極にある二つの事柄が、同じ重さを持って立ち上がってくることがあります。二律背反とでも呼ぶべきこれらの事を、どのように繋げて行くべきか、私は繰り返しその問いと出会うのです。キャンバスに重ねられた白と黒が、攻めぎ合いののち形となるにつれて生まれる秩序のようなもの。それは、螺旋のように繋がってゆく終わりのないものです。作品の生まれる場所、イメージの根源は、対極にある二つの事柄の間にあるのではないか。二つの事が共に在る、互いが互いを含み込んでいる所なのではないか、最近、私はそんなふうに感じはじめています。

 私はひとりで山を歩くのが好きです。急な道を息を切らして一歩一歩進むうち、体の中に、あるリズムが生まれます。目の端に過ぎてゆく木々や空の色、風の音、生きものたちの声、それらが体のリズムとひとつとなりある時空が生まれます。そこでは攻めぎ合う二つの事柄に遮られることはありません。私は一枚の絵にこの時空を作りたいのです。そして、絵を描くことで自分自身の中にも、この時空を持ち続けたいと願っています。それは、どんな急な道も勇気を持って進んでいける拠り所となるはずです。

 抽象的な形が、時として風景のように見えたり、何かの形を思い起こすきっかけとなることがあります。人は自身の経験や想いの中で作品と出会うからでしょう。それぞれの人が別の人生を歩みながら、一枚の絵によって伝わるものあることが不思議です。その不思議なことに取り憑かれて、私は描き続けているのかも知れません。

 一本の樹を見つめるように、雨の音に耳を澄ますように、絵に向かいたいと思っています。


石塚 雅子 (ホルベインスカラシップのテキストに加筆)
1997年 3月